LIVE REPORT 12



BIG BAND! Last Updated 2018-10-16


 no.12

ジーコ伊勢のジャズ観戦記 4

聖夜に響くスピリチュアルな歌声と
名門楽団のサウンド

Christmas Evening with
DEE DEE BRIDGEWATER& THE LEGENDARY COUNT BASIE ORCHESTRA
2014.12.25[thu] Blue Note Tokyo
ジーコ伊勢

 ジャズ・ヴォーカルの名花、ディー・ディー・ブリッジウォーターと名門カウント・ベイシー・オーケストラとの夢の共演が、クリスマスの夜の豪華なプレゼントとして、日本のジャズ・ファンに届けられた。’63年の名盤『エラ・アンド・ベイシー』の再現と、期待した人も多かったのではないだろうか。
 カウント・ベイシー・オーケストラは、かつて専属歌手としてビリー・ホリデイやジョー・ウイリアムスが在籍し、またエラ・フィッツジェラルドを筆頭に、フランク・シナトラやサラ・ヴォーンなど名歌手のサポートをしてきた。ジャズ・シンガーにとって人気が高い楽団である。
 その理由は、歌手にとって乗りが良いダンサブルなサウンドであり、伸び伸びと気持ちよく歌うことができる舞台を作ってくれるからであろう。エラは後に「これまで随分レコーディングをして来たけれど、こんな楽しい思いをしたのは久しぶりのこと」と振り返っているほどだ。それはカウント・ベイシーという音楽家の「歌」に対する深い理解に依るものだろう。そうしたジャズの喜びの根源を呼び起こす様なサウンド、スウィンギーでリズム感あふれる演奏はベイシー亡き現在でも、その伝統は受け継がれていることを実感した。
 今回の公演でも、装飾的な余計なアレンジはせず、歌声を引き立てるよう編曲され、シンプルな演奏で歌手を盛り上げた。まるで彼女を支えるやさしいベッドのようにソフトに、時にはジャンピング・ボードのようにリズミカルにと、メリハリのあるサウンドを響かせていた。
 まずは、トランペット奏者・スコッティ・バーンハートが指揮するベイシー・オーケストラの演奏からスタート。暖かな拍手によって、楽団も観客も充分にウォ−ムアップし、今夜の主役を招く。
 ファンの大きな期待の中で現れたディー・ディーは、登場から舞台を去るまで、語り、歌い、笑い、踊り、感情を体全体で表現し、常に観客と感応しながらのパフォーマンスを続けた。それは観客の熱視線を惹き付けて離さないエンターテイメントの本質を観る様なステージングであった。
 クールで上品なサウンドを求めるタイプのジャズ・ファンには不向きかもしれないが、今回の公演に来た観客たちの反応、つまり体全体で表現するディー・ディーの歌声と骨太なオーケストラのサウンドに大きな拍手と感声をあげていた様子からも日本での両者の人気のほどが伺えた。
 ディー・ディーは日本との関係がことのほか深い。’74年2月27日の芝郵便貯金ホールでのサド・ジョーンズとメル・ルイスのビッグバンドのコンサートに新進歌手として参加。当時23歳、スケールの大きな歌声、繊細でしなやかな感性は既に大物の片鱗をみせ、未来への扉を開いていた。
 招聘元のオール・アート・プロモーションの石塚孝夫氏が彼女のレコードの企画を立て、トリオ・レコードから発売された。
 このデビュー・アルバム『アフロ・ブルー』は、翌月の3月10日から14日にかけて東京で録音され、当時の夫セシル・ブリッジウォーター(tp, kalimba)やその弟ロン・ブリッジウォーター(ts, perc)のほか、ロ−ランド・ハナ(p)、ジョージ・ムラーツ(b)、日野元彦(ds)をバックに伸び伸びとした歌声を収めた。このアルバムが作られなかったら、ディー・ディーのその後の活動はいくらか違った道を辿ったかもしれない。今やジャズ・ヴォーカルのトップを歩み続ける彼女、この事実を日本のジャズ史に残る一頁として誇りとすべきであろう。
 ディー・ディーは、スキャットの名手でもある。エラの姿を二重写しにするジャズ・ファンも多いはずだ。スキャットはルイ・アームストロングがレコ−ド収録中に歌詞を忘れてしまい、その場で適当な言葉で歌った失敗版がまわりのスタッフに受けて、そのまま使用されたことがきっかけで生まれたということが定説になっているが、ディー・ディーにとってのスキャットはジャズそのものであり、また精神における自由そのものである。彼女にとって、スキャットは歌詞と歌詞を繋ぐものではなく、音楽表現の大きな核となっている。
 スローなナンバーでは歌詞を噛みしめるように丁寧に、そして内面にある何かに語りかけるように静かに歌う。
 一方、スキャットはリズミカルな曲や興が乗ってきた時に、自然に発する楽器の即興というべきものであり、その時に受けたインスピレーションを、体をくねらせ、全身を楽器としながら自由奔放に鳴らす、といった印象だ。
 楽器音と化した歌声はベイシー・オーケストラの管楽器と溶け合い、時にはコール&レスポンスを繰り返しながら、絶妙なアンサンブルを作り上げる。勿論、即興といえども鍛えあげられた音楽的経験に支えられたものだろう。ジャズの本質ともいえる即興は、彼女にとってのスキャットである、と言い換えることができる。
 ディー・ディーは、ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドへのトリビュート・アルバムを出している。この二人がかつてカウント・ベイシー・オーケストラのサポートを受けていたことと、今回の組み合わせは決して偶然ではない。
 とはいえ、彼女は敬愛する二人の歌声とはまた違う個性を持っている。むしろ、ゴスペルのシャーリー・シーザーやソウルのキャンディ・ステイトン、グラディス・ナイトらの唱法に近い。おそらく、彼女が生まれたテネシー州メンフィスという土地柄と、育った時代とが大きく起因していると想像できる。メンフィスはセントルイスと並ぶブルースの発祥地であり、人口の半数以上をアフリカ系アメリカ人が占める。メンフィス出身のシンガーといえば、アレサ・フランクリンやマディ・ウォーターズなど枚挙にいとまがない。この地はジャズのみならず、ゴスペルやソウル、ブルースといったブラック・ミュージックの聖地でもある。
 幼い頃、ミシガン州フリントに移住した後、ジャズへの道は、娘を自分の楽団に引き入れたジャズ・トランペッターであった父親が示してくれることになる。
 ’76年のアメリカでのデビュー・アルバム『私の肖像』に続く『JUST FAMILY』、『BAD FOR ME』など’70年代後半に発表されたものは抜群の歌唱力を活かしたソウル/ファンク・アルバムであったし、’87年発売の『LIVE IN PARIS』はブルース・テイスト溢れる熱狂的なライブ・アルバムであった。
今回のステージで披露されたブルース曲は、ベイシー・オーケストラの重厚な演奏をバックに彼女が全身全霊で歌い上げ、この夜の白眉となった。観客も、両者の熱演に応え、大いに盛り上がり、聖夜は熱い空気に包まれた。
 彼女を一つの音楽ジャンルに回収する必要はない。と同時に、ジャンルを越えて自身の歌手としての可能性を広げているようでいながら実は、ディー・ディーは、ブラック・ミュージックの中心にあるスピリチュアルな核を抱きつづけた歌手である、といえるのではないだろうか。
 ライブの中で繰り広げられる観客との掛け合いは、ゴスペルやソウル・シンガーのパフォーマンスそのもののようにも思えた。
 ’59年にレイ・チャールズがゴスペルの様式を用いた楽曲「ホワッド・アイ・セイ」を発表した時、聖なる世界にあるべきものを俗音楽におとしめたとして、当初、全米のラジオ局から放送を拒否されるなど、大きな社会的批判を浴びてからすでに半世紀以上が過ぎた。この曲は大ヒットののち、スタンダード曲として世界中の人々に認知されている。
 こうしたことが音楽の聖俗の壁を崩し、ミュージシャンが世俗音楽の中にもスピリチュアルな音を見いだす方向へのきっかけとなったのではないだろうか。
 ディー・ディー・ブリッジウォーターという天才的歌手が奔放にスキャットする時、彼女の歌声の背景にあるブラック・ミュージックの歴史的な河の流れと、スケールの大きさをあらためて感じてしまうのである。

Dee Dee Bridgewater(vo)
Scotty Barnhart(conductor)
Marshall McDonald, Cleave Guyton, Doug Miller, Douglas Lawrence, Lauren Sevian(sax)
Mike Williams, Kris Johnson, Endre Rice, Bruce Harris(tp)
Clarence Banks, Dave Keim, Alvin Walker, Mark Williams(tb)
Reggie Thomas(p) Will Matthews(g) Marcus McLaurine(b) David Gibson(ds)
演奏曲
1. HEY JIM
2. I THOUGHT ABOUT YOU
3. JINGLE BELLS
4. APRIL IN PARIS
5. OH, LADY BE GOOD
6. UNDECIDE BLUES
7. MR. PAGANINI
8. COTTON TAIL
9. THE CHRISTMAS SONG
10. GOD BLESS THE CHILD
11. FINE AND MELLOW
12. A FOGGY DAY
EC1. MY FAVORITE THINGS
EC2. ONE O'CLOCK JUMP

ディー・ディー・ブリッジウォーター: プロフィール
1950年5月27日、アメリカ・テネシー州メンフィス生まれ。本名はデニス・アイリーン・ギャレット (Denise Eileen Garrett)。幼い頃ミシガン州フリントに移住。父がジャズ・トランペッターで、高校の教師をしていたため、早くからジャズを歌い始める。ハイスクール時代に早くもヴォーカル・トリオを作り、一方で父のグループでも歌っていた。ミシガン州立大学、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で学ぶ。その後、ジョン・カーベイのビックバンドに加わり、ソヴィエト連邦へ公演に行ったこともある。この頃、トランぺッターのセシル・ブリッジウォーターと知り合い、’70年に結婚。’70年代にサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラの専属シンガーとしてキャリアをスタート。’74年2月には楽団の一員として夫と一緒に来日している。この時期に、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチといった人々と共演する。’75年に歌唱力を買われてブロードウェイにも進出、黒人ミュージカル「ウィズ」に出演。’80年代にはデューク・エリントンの音楽を使った「ソフィスティケイテッド・レディーズ」で主役を演じ、絶賛を浴びた。’86年にフランスへ移住。’86〜’87年にはビリー・ホリデイを題材としたミュージカル「レディ・デイ」に主演、ビリーのナンバーを歌い、好評を博した。’90年にモントルー・ジャズ・フェスティバルで歌い、このときの歌は「イン・モントルー」としてポリドールから発売。ヴァーヴ・レコードから’92年にスタンダード集「キーピング・トラディション」、’94年に「ラヴ&ピース〜トリビュート・トゥ・ホレス・シルヴァー」、エラ・フィッツジェラルドが亡くなった翌’97年にエラの愛唱歌に挑んだ「ディラ・エラ」など多数のアルバムを発表。歌の解釈、表現力、テクニックともに今やトップの座にいるジャズ・ヴォーカリストである。現在、国際連合食糧農業機関(FAO)の大使をつとめている。


ジーコ伊勢:(伊勢功治[いせ・こうじ])
富山県生まれ。グラフィク・デザイナー、桑沢デザイン研究所非常勤講師。2013年、「マリオ・ジャコメッリ写真展」(東京都写真美術館)デザイン担当。著書に写真評論集『写真の孤独』(青弓社)、詩画集『天空の結晶』(思潮社)。『北方の詩人 高島高』近刊予定。

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Photo by Takuo Sato


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